伴走者

夕方になると10歳(小学4年)の息子はサッカースクールに通う。なるべく練習に付き添うようにしているが、見学していると私は熱くなって声を掛けたくなってしまう。父親の外からの声掛けなんて息子にとってもスクールコーチにとっても迷惑だ。だから、練習の間、1人でランニングをしている。スタートして快調に走れてるなと思っても、後半はグダグダでほぼウォーキング。これでも数年前は自慢できるほどのタイムで走っていたがそんな面影はどこにもない。バテてジョギングになると伴走者が欲しくなる。疲れてきたら励ましてくれる、諦めそうになったら支えてくれる、苦しみや辛さを一緒に乗り越えてくれる伴走者だ。特にこれからの季節は暗くなるのが早くなるので、なおさらだ。

リハビリテーションでも同じことが言えるのだろ。ストレッチ時には痛みに耐えなければならない時もある。筋力強化の際には負荷に負けずに筋力を発揮しなければならない。バランス訓練では転倒の恐怖に勝たなければならない。苦しい状況を乗り越えて、望む状態へと近づくことができる。必ず思い通りになるとは限らない。麻痺が残り、筋力が回復しきらないことは往々にしてある。しかも長い長い年月を要する。そんな時にはどんなトレーニングをするか?よりも誰とするか?が重要になってくる。

伴走者に求められるのは何だろう?知識や技術、経験を多く持っている人であることは最低条件だ。やっぱり苦しみや悲しみ、虚しさや儚さ、そういったネガティブな気持ちを受け止めてポジティブな思考へと導いてくれる人間的な器の大きさを求めてしまう。器の大きな人間には皆なりたい。なりたくてもなれないものだ。どうしたらなれるだろうか?多くの経験を積むことに限るのだろう。自分の許容を超えるような経験、苦労を伴うような経験、新たな経験、様々な経験を通して乗り越えられるメンタルを磨き築き上げていくことが大切なのだろう。それともう一つ、人との出会いだろう。新たな人との出会いは、今までにない発想や考えを教えてくれる。それを私自身がどのように吸収・解釈して自分自身の成長に繋げていくかが大切なんだと思う。

お客様にとって、妻にとって、子供たちにとって、良き伴走者になれるよう頑張っていこうと思う。